スタッフブログ|センチュリー21ベストハウジング千葉

STAFF BLOG

12月14日は何の日?

2015年11月30日

皆様こんにちは!
早川です。

季節もすっかり秋から冬へと替わり、朝晩は随分と冷え込んで来ましたね。
季節も冬へと向かいますが、皆様も風邪などを引かずにご自愛ください。

いよいよ12月に入り艶やかなイルミネーションが街を飾り
周りもクリスマスの景色に彩られ始めましたが、
その前に私の恒例になります12月の重要なイベント(?)がございます!

社内でも話題に上り、ほとんどのスタッフが知らないと言い放った
「忠臣蔵」

確かに歴史の教科書では「赤穂事件」として少ししか触れられてはいませんが、
大河ドラマ等でもこの時期かなりの本数を行っていた物語ですので、
話しができないのは少し悲しい気分にはなります。

というわけで、昨年も同じようにこの話題に触れたブログを書きましたが、
あえてもう一度!当社スタッフにわかってもらう為!
この物語の概要に触れていきたいと思います。
【忠臣蔵あらすじ】
今からおよそ300年前(1702年、元禄15年12月14日)、
お江戸で仇討ち事件がありました。
場所は両国は松坂町、回向院裏の「吉良邸」。
播州赤穂浅野家の浪士四十七名が吉良上野介の屋敷に討ち入り、
その首級を挙げたというおなじみのお話です。

元禄14年3月14日江戸城中「松の廊下」において刃傷沙汰がありました。
折しも京都からの勅使饗応の儀式の最中、
接待担当の大名で播州赤穂(兵庫県)五万三千石の殿様、
浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が、なんと儀式儀礼を教える先生役の吉良上野介(きらこうずけのすけ)
に切りつけたのです。
幸か不幸か、吉良上野介は死ぬほどの大事には至らなかったのですが、
浅野内匠頭は即日切腹、吉良上野介はお咎めなし。
赤穂の城は没収、家臣は失職離散。
喧嘩両成敗の鉄則に反したばかりに、これから1年9ヶ月にかけて一大ドラマが展開することになるのです。

家老の大石内蔵助はあくまでも恩赦特赦によるお家再興を働きかけ続けたのですが、
虚しく日が過ぎていきます。家臣達からの仇討ちの督促や想像以上の世論の期待に耐えきれず、
ついに内蔵助は決断をすることになります。
元禄15年12月14日、大石内蔵助率いる総勢四十七名は殿様の命日に討ち入ります。
めざすは両国松坂町「吉良屋敷」へ 。
翌朝4時、まだ暗い。激闘2時間の末、見事、御首を挙げた四十七士は、
主君の眠る高輪泉岳寺まで凱旋し、墓前に首級を供えたのです。
この快挙に江戸市民はやんやの喝さいをしました。
この時代は、ご存知犬公方様の”生類哀れみの令”で庶民はビクビク暮らしており、
又、貨幣改鋳という悪政によるインフレにも喘いでいたのです。
この事件は、そういう息詰まり状態を一挙に晴らした一大爽快事だったのです。

翌年2月、大名家(熊本細川家、松山松平家、三河水野家、長門毛利家の四つの下屋敷)
にお預けとなっていた全員が名誉ある切腹を命ぜられました。
この時点で四十七士は義士とみとめられたのです。
以後、今日まで、日本人好みのこのお話は、芝居に映画にと語り継がれています。

というお話です。
やはり日本人の義理、人情に語りかける素晴らしいお話しですね。
さてさて、人それぞれ人生があり、ご家族皆様の唯一の物語を紡ぐための
素晴らしい分譲地のご紹介をしたいと思います!

JR総武快速線【津田沼】駅21分アクセス!
全33区画の大型分譲地【エルヴェガーデン】

分譲地内に常設のモデルハウス完成!

魅力満載の公式HPはこちら
http://www.best-h.co.jp/grandhill2/index.html

この街から始まる
皆様だけの素晴らしき物語を紡いでみてはいかがでしょうか?